ODです
物事の大なり小なりを言えばきりがないので棚にあげます
僕はこの43年間 ご多分に漏れず 平穏に生きてきたわけではないですが 特にこの4年半は自分に降りかかること 降り注ぐこと 自分に起きてしまったこと 他人ですらそこまでのことが起きるのかと投げ掛けられる出来事を耐え抜いてたくさんの方に支えられ助けられ生きてきました
人は死を直面したときに 想像の中で怖いとか 誰かが言ったように 生まれてからはどのように死んでいくかなのだ とかもろもろ人の数だけ言葉はあれど 自身が直面したときに本能での恐怖を味わうことは死んだその人しか知らないわけで それはそれは まったくもってわからないものであります
私自身 相当の修羅場に直面してきましたが 痛みへの耐え抜く恐怖におののく怖さを大きく感じるものではないかとも思うこともあり また 残されるものへの無力の恐怖に囚われるものでもあるとも思うことはあります
ただ自殺とは異なり必ず時間までも指定されてくるその状況には未経験なものでそれはそれはわからないものではあります
人は人の死を自分に関わりが深い人ほど恐怖を感じるものとも思っています
自己防衛本能
ひどい話ですがこの直面を持っても人は自分の可愛さに打ち勝つことは不可能なのかも知れません
周りの人が直面していたときのことを見てこの気持ちが見えてしまう自分が悲しく思えます
先日 昨今の情勢の中 毎日家から一歩も出れずに娘と息子が二人で日中を過ごし みんなとの様々な遅れを耐えて戦いながら暮らす子どもらと妻と人混みを避けまだ冬の寒い中に海に連れていきました
少しでももて余す力 フラストレーションから無意識に解放してほしかった気持ちからでした
人のいないゆったりとした短い時間
ドライブで車で30分の海水浴場に行き 息子はラジコンを走らせ 娘はスケボーに乗り 貝殻拾いをして ヤドカリを見つけて 冷えきった身体を車の中で暖め そしてまたドライブしました
普段いくことのない方向にあるN町までのドライブ 娘の好きなアーティストのCDをかけ毎日見飽きるテレビやYouTube、Amazonprimeビデオから離れた時間
トンネルに入ると何故か息をとめる妻と子どもたち
数週間ぶりのお出かけでした
僕はこの時 途方もない平穏な感覚にずっととらわれていました 今までにない感覚でした
これまでの日常であればさほど いや ここまでも思わなかったでしょう
3.11ともまるで違うものでした
息子と娘と妻の笑い声がこれほどまでに映画のワンシーンのように感じられたことは無かったかも知れません
N町に入ってまもなく妻は言いました
もう戻ろう もう満足した
私は来た道をそのまま戻りました
道中 お客さんの居ない蕎麦屋さんに入りました
息子はお腹ペコペコ 妻はお蕎麦食べたい
何週間もしてなかった外食
広い座敷にいくつもあるテーブル
四人がけのテーブルに四人家族の僕たちだけが座り声が響く
みんなで美味しいと食べきりその店を後にし帰宅しました
同じ事をこれまでの日常でしてもこの感覚は起きなかったこと
私はこの些細な出来事を忘れることはない
静かで平穏な日
quiet peaceful day
4/20まで僕は喪に服します
そして 次もまた刻一刻と近づいています
そのときもまたのちにQPDがあることを祈りながら